感謝の本質

心と身体を緩めて穏やかなあなたへ戻す場所
治療院『ばいたるえなじ~』
癒し手しげさんのアシスタント、くみです。
お世話になっている人に…
家族に…
日頃から感謝の気持ちを忘れずにいたいと思っていますが、感謝って身近な人にだけするものなのでしょうか。
しげさんがよくこんな話をしてくれます。
『ありがとう』の反対って何だと思う?
『ありがとう』って、漢字で書くと『有り難う』だよね?
元々は『有り難しこと』とか『有り難きこと』という意味で、今風に言うと、『有り得なくね?』って感じ?
だから、『ありがとう』の反対は『当たり前』。
『ありがとう』の本来の意味は、『当たり前などではない、滅多にないほどのことをしていただきました』ってことじゃないかな?
じゃあ、『当たり前』って何なんだ?てことだけど、動物にとっての『当たり前』って、ひとりで生まれて、ひとりで生きて、ひとりで死んでいくってこと。
石器時代とか、人間の数がすごく少なくて、だから、社会が今よりもはるかに小さくて、集落とかもまだなかったような頃って、自分が食べるものだけじゃなくて、住むところも、着るものも、生活に必要なものって、全部自分ひとりで用意しなきゃならなかったわけじゃん?
そういうのが動物としての『当たり前』なんだよね。
それが、人口が少しずつ増えてきて、集落とか村とかいうようなコミュニティが出来てくると、それぞれが自分の得意なことを人の分までやってあげる代わりに、自分の苦手なことを誰かに手助けしてもらうことで、『当たり前』なこととしてしなきゃいけなかった苦労から解放されて、少しずつ生活のクオリティが上がっていったわけ。
そういう自分の生活を成り立たせてくれる全てのことに対しての感謝が、本来の『ありがとう』だと思うぞ。
例えば、今くみさんが着ている服も、服を売ってくれた店員さんがいて、その前に服を売る商売をしてくれている人がいて、服を作ってくれた人がいる。
デザインしてくれた人もいるし、生地を買い付けてくれた人もいる。
言い出したらキリがないけど、生地を作ってくれた人とか、糸を紡いでくれた人とか、何なら羊を飼ってくれた人がいる。
服をお店に服を運んでくれたトラックの運転手さんがいて、そのトラックを作ってくれた人がいる。
トラックにガソリンを入れてくれた人がいて、ガソリンを精製した人や、ガソリンスタンドにガソリンを運んでくれた人もいる。
着ている服一着で考えただけでも、とにかく数えきれないほど沢山の人が携わってくれてるわけ。
服だけじゃなくて、食べているものだったり、住んでいるところとか、移動の手段とか、自分の生活に関わる全てのことに、それこそ顔の見えない大勢の人が関わってくれてるんだよね。
これが『当たり前』の苦労から解放してくれた、『有り難いこと』なんだよ。
だから、感謝の本質ってそういうこと。
自分の周りの全ての人、全てのもの、すべての出来事に『ありがとう』
身近な人だけじゃなく、こんなにも沢山の人に助けてもらいながら、日々快適に安らかに過ごせていることに、心から感謝したいと思います。